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Russian Birds

その他の機種





LET L-410


左:フィリピンで活躍するLET L-410
右:機内は1人掛けのシートが3列並ぶ

1969年にチェコスロバキア(当時)のLETが開発した小型のターボプロップ機。厳密に言うと旧ソ連製の旅客機には該当しないが、旧ソ連諸国や東欧などの東側諸国で使用されたことや、製造機数が多いことなどから、「Russian Birds」にも収録した。
1970年に初飛行の後、1100機あまりが製造されており、同等クラスのデハビラント・カナダ(現ボンバルディア)社のDHC-6が800機あまりで生産を打ち切ったのに対して、後継型のL420がアメリカなどに輸出されるなど、このサイズの機体としては最大のヒット作であり、東側の設計としては、Yak40やAn-124と共に、西側にも認められた機体となった。

エンジンはチェコ製のワルターM601ターボプロップエンジンを2基装備しており、座席数は19席が標準である。客室は与圧されていないが、時速300kmで1000km程度の航続性能を持っている。

チェコスロバキアからソ連に輸出された他、東ドイツなどの東側諸国で使用されただけでなく、中南米やアフリカ、フィリピンなどにも、低価格故に数多くの機体が輸出された。フィリピンでは、アジアンスピリット航空やSEエアなどが大量に導入し、マニラ〜カティクラン(ボラカイ)線などに投入している。



アントノフ22/AN-22/АН−22


伊丹にヘリコプターを運んできたAn-22

1965年に初飛行、1967年に就航した世界最大級のプロペラ輸送機。二重反転プロペラを装備するクズネツォーフNK-12エンジンを4基装備し、80tの貨物を積んで、5000kmまで飛行することができる。軍用輸送機としての使用が主としての開発であったが、民間用途でも使用されることがある。
現在はアントノフ設計局が保有している機体が、ウクライナのキエフをベースに、大口貨物輸送に使用されており、日本にも飛来実績がある。最近では、2008年1月にヘリコプターを輸送するために大阪国際空港(伊丹)に飛来している。



ツポレフ104/Tu-104/ТУ−104


旧ソ連初のジェット旅客機

1955年に初飛行、1956年に就航したソ連初のジェット旅客機。設計のベースはTu-16爆撃機である。機首部分にガラス風防のナビゲーター席を装備しており、エンジンは主翼上にミクーリンAM-3ターボジェットエンジンが取り付けられているのが特徴的である。
1956年にフルシチョフが英国を訪問する際に使用しており、この時英国ではデハビラント・コメットの空中分解事故による運航停止の最中であったため、西側諸国に大きな衝撃を与えている。しかし、元が戦闘機であることや、初期のジェット機であることが原因の技術的な未熟さによる事故が、デハビラント・コメット同様に起きており、1960年には生産が打ち切られている。その後はTu-124や、Tu-134へと生産が移行した。
民間旅客機としては1979年、軍用輸送機としては1981年まで使用された後退役している。現在はモスクワ・ヴヌーコヴォ空港やサマラ航空宇宙大学、モニノ空軍博物館などで展示されている機体を見ることができるのみである。



ツポレフ114/Tu-114/ТУ−114


超大型のプロペラ機(写真提供:渡邉様)

1957年に初飛行、1961年に路線就航した大型のプロペラ旅客機。ベースはTu-95爆撃機で、二重反転プロペラを装備したクズネツォーフNK-12エンジンを装備している。二重反転プロペラの高さの関係から、非常に背の高い旅客機で、西側の空港が持っていた普通のタラップでは高さが足りず、専用タラップが必要であったとされる。当時としては最大の旅客機で、標準座席数170席、モノクラスでは200席の配置が可能であった。
1967年に開設されたアエロフロートと日本航空のモスクワ〜東京線の共同運航に使用されたが、1969年にIL-62が投入されて姿を消した。1976年までに全機が現役を退き、現在は博物館に展示してある機体を見ることができるのみである。



ツポレフ144/Tu-144/ТУ−144


ソ連のコンコルド

1968年に初飛行、1975年に路線就航したソビエト唯一の超音速旅客機。英仏共同開発のコンコルドに似ていたため、「コンコルドスキー」と言うあだ名をつけられた。エンジンは超音速機用に開発されたクズネツォーフNK-144を4基装備している。
開発途中の1973年、パリエアショーで墜落事故を起こし、また就航後の1978年にも事故を起こすなど、運航の安定性がなかったため、実際に運航した期間は、1975年から78年と、非常に短かった。なお、運航期間中でも、1975年から77年までは、貨物輸送のみに使用され、旅客輸送は55回行われたのみであったという。
この関連から、わずか16機の生産に留まったが、冷戦崩壊後に、NASA、ボーイングなどとの超音速機共同開発に使用されるため、RA-77114が飛行できるように整備されているが、現在はモスクワ・ズフコフスキー空港に整備保存されている模様である。他の機体については、ソ連崩壊後、各地の空港に放置されていたが、現在はカザン航空大学、サマラ航空宇宙大学、モニノ空軍博物館などロシア国内や、ドイツのジンスハイムなどに大学の実習用や博物館展示用として残されている。



イリューシン14/IL-14/ИЛ−14


1950年初就航の古い機体

1950年に初飛行、1954年に就航したピストンエンジン輸送機。第二次世界大戦後に使用されていたDC-3やLi-2などの後継機として開発され、ロシアなどでは最近まで使用されていた。西側ではDC-4クラスの機体で、座席定員は25名程度である。
民間機としては、旧ソ連や東欧、中国などの航空会社で使用された実績がある。



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